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里見忠義(さとみただよし)


 

 

慶長19年(1614)安房館山城主里見忠義が勢力争いに巻き込まれる形で大久保忠隣に連座し転封を命じられ、倉吉にやって来ました。忠義は神坂(倉吉市東町・住吉町・荒神町)に住居を置き、倉吉の北野神社、北条郷の山田八幡宮の社殿を修復するなどの事績を残しましたが、元和3年(1617)池田光政の鳥取入城とともに、倉吉郊外の下田中村に、さらに同5年(1619)堀村(倉吉市関金町堀)に移され、元和8年(1622)、29歳で世を去ります。遺言により遺骨は殉死した8人の家臣(『南総里見八犬伝』のモデルといわれる)とともに大岳院に埋葬されました(里見忠義の法号は「雲晴院殿心叟賢涼御大居士」)。また、清和源氏の流れをくむ関東の武門の雄の霊を鎮祀する小さな祠が堀の山郷神社の近くにあります。

 

現在、大岳院には里見忠義主従の墓のほか、忠義が寄進したと伝えられる宋代の三彩稜花刻花文盤(さんさいりょうか こっかもんばん)が残されています。