打吹城

標高204mの打吹山にかつて築かれた山城
打吹山は山名氏が最初の居城、打吹城を築いた地です。
山名時氏(やまなときうじ)は、上野国(こうずけのくに)(群馬県)新田氏の一族で、足利尊氏(あしかがたかうじ)に従って活躍し、伯耆の守護となりました。
時氏とその子師義(もろよし)は、倉吉平野の一角、天神川上流に位置する因伯の交通の要、倉吉に着目。
城を建設して商工業者を集めました。城下には定期市が開かれるなど活況を呈したといわれています。
そして、時氏、師義父子は、因幡、伯耆、隠岐、丹波、丹後、但馬、美作の守護を兼ね、領土を拡大。
これに一族の他の領土を加えると、全国の6分の1を領有していることになり、「六文一殿」(ろくぶんのいちどの)と呼ばれるほどの隆盛を誇りました。
しかし、室町幕府の三代将軍足利義満はこれを喜ばず、山名一族の離間をはかり、紛争が起こるよう企みました。
八代将軍義政の時代には、応仁の乱が勃発。
山名宗全が西軍を率いて細川氏と11年間にわたって戦ったが、乱後、山名一族は急速に衰退したといわれています。
現在の打吹山には城跡が残っています。

- 住所
- 鳥取県倉吉市仲ノ町
- 電話番号
- 0858-22-1200(倉吉白壁土蔵群観光案内所)
- 駐車場
- 観光駐車場を利用
- 施設データ
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打吹城跡・備前丸跡は櫓は残っておらず、石碑が立っています。
正面展望台は櫓を模した形をしており、町並みを望むことができます。
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